名勝天竜峡温泉・龍峡亭

長野県飯田市天竜峡の渓谷沿いに建つ絶景の温泉旅館。施設概要や多彩な宿泊プラン、観光日帰りプランのご紹介。ネットからの宿泊予約も。
天龍峡温泉 龍峡亭とは | 名勝天竜峡温泉・龍峡亭
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天龍峡温泉 龍峡亭とは
昭和30年頃の天竜峡
写真:天龍峡駅でお客様をお迎えする、龍峡亭の送迎車(昭和30年頃)

天竜峡は、長野県飯田市を流れる天竜川が切り開いた、風光明媚な渓谷です。
龍峡亭は明治初期のお茶席に端を発した、渓谷沿いに建つ温泉宿です。
各お部屋からは、四季折々の渓谷の風景を楽しむことができます。

龍峡亭の女将三代2
女将三代が心づくしのおもてなしで、皆様をお待ちしております。
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■ 天龍峡温泉 龍峡亭の歴史 ■

明治末のお茶席だった頃よつばのクローバー 明治初期:
天龍峡の中心地岩盤の上に、各地の名士/文化人が四季の風情を楽しむ場として“席”(茶室)を建てる。
next写真(右):明治末のお茶席だった頃

よつばのクローバー 昭和12年:
何代かの代変わりを経て龍江村営の社交場としてあった館を譲り受ける。
大田橋(現:姑射橋)の渡し場にあった龍橋亭の名前をもじって、龍峡亭と命名した。

よつばのクローバー 同年11月:
料亭として開業。

中2階より姑射橋を望む(昭和32年頃/現存せず)よつばのクローバー 昭和22年:
業態が旅館となる。岩場に建つ木造3階建ての宿は
“むささびの宿”とも謂われていた。
next写真(右):中2階より姑射橋を望む(昭和32年頃/現存せず)

よつばのクローバー 昭和55年:
消防法の関係上木造建ての建物を改築し、現在の建物となる。

よつばのクローバー 平成2年:
天然ラドンの温泉「名勝 天龍峡温泉」が湧出し、温泉旅館となる。
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 龍峡亭は名勝地・天龍峡にある旅館として、昭和の著名人にも愛されました。

吉川英治さんが宿泊された際に詠んだ俳句「伊那乙女」(昭和27年11月)よつばのクローバー 昭和27年:
吉川英治杉本健吉画伯 ご宿泊
“伊那乙女ひとり貰うて 帰りたや”という書画を館内に残された。
next写真(右):吉川英治さんが宿泊された際に詠んだ俳句「伊那乙女」(昭和27年11月)

よつばのクローバー 昭和30年:
近藤日出造画伯 ご宿泊
またたび酒に酔い、伊那節を踊る画を残された。
(現在も浴衣のオリジナル模様として残っています)

三笠宮様ご来館・ご昼食時に食材についてご説明する女将(昭和39年) 三笠宮寛人殿下や俳人白蓮、元巨人軍の川上哲治さん等もご来館・ご宿泊いただきました。
next写真(右):三笠宮様ご来館・ご昼食時に食材についてご説明する女将(昭和39年)

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■天龍峡温泉 龍峡亭の歴史アルバム■

天竜川を下るお米の帆掛け船(大正末)
昭和40年頃の天竜川下り
天竜川を下るお米の帆掛け船(大正末期)
昭和40年頃の天竜川下り

川下りを楽しんだお客様(昭和28年頃)
JR飯田線の前身「三信鉄道」で測量技師・現場監督を務めた、アイヌ民族の技術者川村カネト氏と従業員(昭和36年頃)
川下りを楽しんだお客様(昭和28年頃)
JR飯田線の前身「三信鉄道」で測量技師・現場監督を務めた、アイヌ民族の技術者川村カネト氏と従業員(昭和36年頃)

地元の焼き物「尾林焼」をふんだんに使った“尾林風呂”(昭和34〜55年頃/現存せず)
支配人とご歓談される三笠宮様(昭和39年)
地元の焼き物「尾林焼」をふんだんに使った“尾林風呂”(昭和34〜55年頃/現存せず)
支配人とご歓談される三笠宮様(昭和39年)

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【参考情報】
URL 眺望抜群!名勝天竜峡の温泉宿!龍峡亭(All About)
URL 龍峡亭・土地の四季の食材を使った素朴な郷土会席(All About)
URL 天龍峡 絶景の宿 龍峡亭(中京テレビ・旅はパノラマ)